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NHKの朝

朝。毎日。カミさんが目覚ましがわりに寝室にあるラジオのNHK FMが鳴るようタイマーセットしている。どうやら、5時55分の天気予報を目掛けてセットしているようだが、少しタイミングが早く、5時50分の「名曲の小箱」からラジオが起動する設定になっている。少しの物音でも起きてしまう口のボクなので、当然、起きる。しかし、この「名曲の小箱」の選曲センスがなかなかに狂っていて、朝から「ワルキューレの騎行」だとか、「カルミナ・ブラーナ~おお、運命の女神よ~」なんかを聴かされる時がある。まあ、すべての人が目覚まし代わりに使っている訳じゃないだろうから、何とも文句の言い所が無いのであるが、目覚めが悪い事この上ない。(いや、本当はワルキューレで、「ショアーー!!」って絶叫しながら起きるべきなんだろうな。地獄の黙示録的にさ・・・。)

 クセ者は、ショパンの「別れの曲」で、最初はとってもとっても耳心地がいい。まどろみながら気持ちよく二度寝に突入。が、突然、引き戻される。あの中間の曲調、まさに悪夢すよ。侮れないな、ショパンは。

これってリスナーに誰を想定して選曲しているのかな?早起きしてるのって、やはりご年配の方だよね。お年寄りが朝からワルキューレ聴いて気合い入れるのか?「ゲートボールいくぞ!」的な高揚感?なんだかNHKの早番勤務者の悪意しか感じません。

でも、よくエンターティナーもかかります。映画「スティング」のテーマです。あの曲を聴くと、その日なんだかワクワクする事が起こるような、そんな気になってしまうのです。

 

横断歩道のルール

田舎の農村。車なんて来やしない道で信号待ちしていると、息子が

「車なんか来ないのに、なんで止まってるの?行っちゃいなよ」

と俺に言う。

「おお!パンクだね〜」

「え?車、パンクしてるの?」

「いや、そうじゃなくて…」

「早く行かないの?」

信号は相変わらず赤だ。しばし考える。子供に急かされて行くのは、運転の主導権を子供に渡すようでなんだか嫌だ。でも、赤信号というルールに縛られてここに止まっている&「赤は停まれだよ」なんて、子供に当たり前の台詞を吐くのも全く俺らしくない気がする。信号、早く変わっちまえ。だが、田舎の信号は俺の葛藤を嘲笑うかの如く、依然として赤のままだ。

えーい!瞬間、子供が凍りつく程にアクセルを踏みこんで、赤信号+αの距離をぶっ飛ばしてやった。ハッハッハー、これが俺が出した答えだ。ああ、わかってる。子供の教育上、ものすごく良くねえよな。またカミさんに怒られちまうな…。

 

海外に行くと、横断歩道の信号の存在が、あって無いような存在であり、驚くことがある。皆、赤でも前述の息子のように、車がこなければバンバン渡っていく。それに比べるて日本人はき真面目だ。赤だとたいていの人はじっと止まって待っている。それが、決められたルールだからだ。日本人はルールが好きだ。ルールがあった方が安心するし、それにのっかってると楽だよね。俺もその一人だよ。

だけど、「ノー・ルール」って言葉にワクワクしてしまう自分もいるのです。よく猪木が、「ノー・ルールで来い、このやろう!巌流島でやるか?!」ってセリフをよく吐いていたけど、ノー・ルールって言葉を聞くだけで、「一体、何が起こるんだろう?」っていうワクワク感ったら無いよね。(実際の巌流島でのマサ斉藤戦が大凡戦だったことは、ひとまず忘れよう)

 

だからボクは、(周りに誰もいない(特にPOLICE)事を確認した上で、)たまに「横断歩道のノー・ルール」を色んな所で楽しむのです。

 

白髪を愛でろ!

久しぶりに会った取引先の方。最初、誰だかわからず、よそよそしい態度を取ってしまった。その原因は、髪の毛だ。いつの間にか真っ白な白髪になっていた。思わず、「誰かと死闘でもしたんですか?」と聞いてしまった(ジョーとの激闘後のホセ・メンドーサ的な感じね)。もちろんそんなハード・ノック・ライフを満喫している訳ではなく、「今まで染めてたんだヨ」と恥ずかしそうに打ち明けられた。正直、10歳は老けて見えた。が、ものすごくカッコよかったんだよね〜。

自分も歳を取り、頭髪にだいぶ白髪が混じってきた。黒髪に中途半端に混ざってるのは、なんとも不潔な感じがして嫌だね。いっその事、全部白く染めたるか、と思う。ペイント・イット・ホワイトだよ。

 

しかし、世の男性は白髪を嫌がる風潮があるが、なぜだろう。そもそも言葉の響きが悪い。「シラガ」っていうワキガ感。昔、プロレスラーで銀髪鬼ってやつがいたけど、「ギンガ」とかどうかな?銀河英雄伝説っぽくてロマンの香りがしないか?

もっとね、髪が枯れる事を褒め合うべきだよね。お互いの白くなった髪を見て、「見事ですな〜」「手入れとかどのくらい時間かけてます?」みたいな。

「お抱えのお悩みとか、どの種類の悩みですか?」「主食は主に何を?」みたいな。

「血統的にはどうなんですか?父方の遺伝ですか?」「いや、母方の祖父が同じ固めの芦毛でしてね」みたいな。

そういった「男が刻んだ年輪」みたいな象徴ってなかなか無いでしょ?脳のシワとか使い込んだアレとかなかなか人に見せられないしさ。

盆栽を育てて頭の上に乗っけてる感覚ね。ハゲてる人には本当に申し訳ないけど、一つの高尚な男の趣味として、白髪の栽培を推奨したい。あ、銀髪ね。

 

目指す所はやっぱり、

こいつ↓とか

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この人↓とかかな。

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いいよね〜。

粋にコーヒーを淹れるよに

今日、とある「先生」と言われる方を訪問した。多忙な方なので、あまり時間を取れない筈なのに、先生は僕達にゆっくりと時間をかけてコーヒーを淹れてくれた。ちゃんとカップをあたため、豆を挽き、沸かした湯を洒落たポットでゆっくりと注ぎ入れる。その所作は綺麗で隙がない。会話をしながらなのに、会話そっちのけで先生の一挙一動に釘付けになる。ああ、これって、不器用な侍が千利休の繰り出すお茶出しパフォーマンスに感激しちゃう感覚なんだろうな、って思う。全ては作法なんだよ。色んなプロセスを経て出てきたコーヒー、格別に美味かった。コーヒーカップのチョイスも、飲み口がちょうどいい唇触りの品で、思わず「結構なお手前で」と言ってしまいそうになるが、そんな無粋なセリフはコーヒーと共に飲み込んだ。

いつもしている何気ない行動も、一つ一つの動作を意識してこだわってやると、そこに感動が生まれるのです。

今の俺にとってのこだわれる事ってなんだろう?と考えた。毎朝、子供の時間割りチェックをやっている。(しかし、これが父親の仕事か?昭和のオヤジが聞いたら卒倒しそうな朝一番の男の仕事だぜ。)本日は、これにこだわりを持ってやってみた。

まず、ランドセルを隙の無い動きでスッと開ける。

次に、今日の時間割りを詩吟を吟じるかの如く読み上げる。こくしゃ〜たいり〜さん〜。こくしゃ〜たいり〜さん。こくしゃ〜たいり〜さん。

教科書とノートを向きを揃えて、時間割り順に取り出せるよう綺麗にランドセルに収納する。連絡ノートに押す印鑑に実印を使用し、上下の向きに気をつけながらキッチリと押し切る。最後に、鉛筆を小刀を使って削る。精神を統一し、正座で1本1本丁寧に削り上げる。

削り上げた鉛筆の先にふうっと息を吹きかける。なんだか疲れちまったな。明日はこれやめよう。

 

世界の終わりとRPG

空は蒼く澄み渡る

海を目指して歩く

恐いものなんて無い!

僕達はもう独りじゃない!!

 

♪チャラララララララララ

♪ラーラーラーラーラー

 

え?なにこの音?

 

あくましんかんが あらわれた!

あくましんかんが あらわれた!

サイクロプスが あらわれた!

サイクロプスが あらわれた!

 

え?え?  →にげる、にげる、にげる、

 

にげられない!

サイクロプスかいしんのいちげき

ピエロはしんだ!

 

え?ザオリクザオリク、ピエロにザオリク →MPがたりない!

あー、ヤバイ、ヤバイ、やどやに行っとくの忘れた→にげる

 

まわりこまれた!

サイクロプスかいしんのいちげき

おんなまほうつかいはしんだ!

 

あー  →にげる

 

にげられない!

サイクロプスかいしんのいちげき

けんじゃのぎたーはしんだ!

 

 あー  →にげる

 

にげられない!

サイクロプスかいしんのいちげき

せかいのおわりはしんだ!

せかいのおわりはぜんめつしました。

 おお!せかいのおわり  

しんでしまうとはなにごとだ!

 ・・・。

 

ロールプレイングゲームが好きです。みんながドラクエに熱狂してるのを横目でみながら、ブラックオニキスを求めて暗いダンジョンをひたすら彷徨っていたクソガキでした。でも、ドラクエ3が発売されて、降参。あれはほんと面白すぎ&1−3までの冒険が感動的な物語として接続する仕掛けなんだよな。あのマジックにハマって以降、ドラクエ9までプレイしています。今度出るドラクエ11、久しぶりに買ってみようかな。なんだかスターウォーズの新作を観に行く気分です。

 

とはいえ、ロールプレイング・ゲームは予定調和だ。ドラクエだって、結局、堀井雄二さんが書いたシナリオをなぞっていくだけだし、僕たちは堀井雄二さんという神の見えざる手でエンディングへと誘導されていく。予想不能の事態は起こらない。犯人はいつだってヤスなんだ。(ドラクエ3のエンディングに関しては、予測不能だった。だから素晴らしい。そして伝説へ。)

 

一方、世界の終わりは、予定調和なんかじゃない。いきなりやってきて問答無用で全てを奪っていく。3.11。あの日、取り残されたビルの屋上から見た景色、匂い、サイレンの音…世界の終わりだと思った。不思議と絶望感は無く、かといって希望なんてものはひとかけらも無く、恐怖感も無く、ただただ「無」だった。(相手が自然界だったからかな?これが、異星人とか他のヤツラからの「侵略」となると、全く別の感情になるのかもしれない)

あの時に考えていたのは、映画「ファイトクラブ」のラストシーン。頭の中には、ピクシーズのWhere Is My Mindが大音量で鳴り響いていた。その時、なにかにとりつかれたように撮影した写真群は、今も色々な所で勝手に使われている。別に構わないんだけどさ・・・。会社の同僚から、「あの時、笑いながら写真とってましたよね。正直、恐かったです」と言われる。きっとこいつ↓みたいな感じだったんだろうな。

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昨年 、地元のローカルテレビ局から、「あの時、あの写真を撮った人」ということで取材の依頼があった。が、丁重にお断りした。「あの時ですか?僕の頭の中ではピクシーズの曲がエンドレスで流れてました。後は話す事なんてなんも無いですね」なんて、とても言えないよな〜。それを見た純朴な田舎民が、ピクシーズをネットで検索して、YoutubeでDebaserを聴くなんて奇跡が生まれるとしたら、その最高の状況に大笑いしてしまうんだけどさ。

 


Pixies - Where Is My Mind - High Definition