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粋にコーヒーを淹れるよに

今日、とある「先生」と言われる方を訪問した。多忙な方なので、あまり時間を取れない筈なのに、先生は僕達にゆっくりと時間をかけてコーヒーを淹れてくれた。ちゃんとカップをあたため、豆を挽き、沸かした湯を洒落たポットでゆっくりと注ぎ入れる。その所作は綺麗で隙がない。会話をしながらなのに、会話そっちのけで先生の一挙一動に釘付けになる。ああ、これって、不器用な侍が千利休の繰り出すお茶出しパフォーマンスに感激しちゃう感覚なんだろうな、って思う。全ては作法なんだよ。色んなプロセスを経て出てきたコーヒー、格別に美味かった。コーヒーカップのチョイスも、飲み口がちょうどいい唇触りの品で、思わず「結構なお手前で」と言ってしまいそうになるが、そんな無粋なセリフはコーヒーと共に飲み込んだ。

いつもしている何気ない行動も、一つ一つの動作を意識してこだわってやると、そこに感動が生まれるのです。

今の俺にとってのこだわれる事ってなんだろう?と考えた。毎朝、子供の時間割りチェックをやっている。(しかし、これが父親の仕事か?昭和のオヤジが聞いたら卒倒しそうな朝一番の男の仕事だぜ。)本日は、これにこだわりを持ってやってみた。

まず、ランドセルを隙の無い動きでスッと開ける。

次に、今日の時間割りを詩吟を吟じるかの如く読み上げる。こくしゃ〜たいり〜さん〜。こくしゃ〜たいり〜さん。こくしゃ〜たいり〜さん。

教科書とノートを向きを揃えて、時間割り順に取り出せるよう綺麗にランドセルに収納する。連絡ノートに押す印鑑に実印を使用し、上下の向きに気をつけながらキッチリと押し切る。最後に、鉛筆を小刀を使って削る。精神を統一し、正座で1本1本丁寧に削り上げる。

削り上げた鉛筆の先にふうっと息を吹きかける。なんだか疲れちまったな。明日はこれやめよう。

 

世界の終わりとRPG

空は蒼く澄み渡る

海を目指して歩く

恐いものなんて無い!

僕達はもう独りじゃない!!

 

♪チャラララララララララ

♪ラーラーラーラーラー

 

え?なにこの音?

 

あくましんかんが あらわれた!

あくましんかんが あらわれた!

サイクロプスが あらわれた!

サイクロプスが あらわれた!

 

え?え?  →にげる、にげる、にげる、

 

にげられない!

サイクロプスかいしんのいちげき

ピエロはしんだ!

 

え?ザオリクザオリク、ピエロにザオリク →MPがたりない!

あー、ヤバイ、ヤバイ、やどやに行っとくの忘れた→にげる

 

まわりこまれた!

サイクロプスかいしんのいちげき

おんなまほうつかいはしんだ!

 

あー  →にげる

 

にげられない!

サイクロプスかいしんのいちげき

けんじゃのぎたーはしんだ!

 

 あー  →にげる

 

にげられない!

サイクロプスかいしんのいちげき

せかいのおわりはしんだ!

せかいのおわりはぜんめつしました。

 おお!せかいのおわり  

しんでしまうとはなにごとだ!

 ・・・。

 

ロールプレイングゲームが好きです。みんながドラクエに熱狂してるのを横目でみながら、ブラックオニキスを求めて暗いダンジョンをひたすら彷徨っていたクソガキでした。でも、ドラクエ3が発売されて、降参。あれはほんと面白すぎ&1−3までの冒険が感動的な物語として接続する仕掛けなんだよな。あのマジックにハマって以降、ドラクエ9までプレイしています。今度出るドラクエ11、久しぶりに買ってみようかな。なんだかスターウォーズの新作を観に行く気分です。

 

とはいえ、ロールプレイング・ゲームは予定調和だ。ドラクエだって、結局、堀井雄二さんが書いたシナリオをなぞっていくだけだし、僕たちは堀井雄二さんという神の見えざる手でエンディングへと誘導されていく。予想不能の事態は起こらない。犯人はいつだってヤスなんだ。(ドラクエ3のエンディングに関しては、予測不能だった。だから素晴らしい。そして伝説へ。)

 

一方、世界の終わりは、予定調和なんかじゃない。いきなりやってきて問答無用で全てを奪っていく。3.11。あの日、取り残されたビルの屋上から見た景色、匂い、サイレンの音…世界の終わりだと思った。不思議と絶望感は無く、かといって希望なんてものはひとかけらも無く、恐怖感も無く、ただただ「無」だった。(相手が自然界だったからかな?これが、異星人とか他のヤツラからの「侵略」となると、全く別の感情になるのかもしれない)

あの時に考えていたのは、映画「ファイトクラブ」のラストシーン。頭の中には、ピクシーズのWhere Is My Mindが大音量で鳴り響いていた。その時、なにかにとりつかれたように撮影した写真群は、今も色々な所で勝手に使われている。別に構わないんだけどさ・・・。会社の同僚から、「あの時、笑いながら写真とってましたよね。正直、恐かったです」と言われる。きっとこいつ↓みたいな感じだったんだろうな。

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昨年 、地元のローカルテレビ局から、「あの時、あの写真を撮った人」ということで取材の依頼があった。が、丁重にお断りした。「あの時ですか?僕の頭の中ではピクシーズの曲がエンドレスで流れてました。後は話す事なんてなんも無いですね」なんて、とても言えないよな〜。それを見た純朴な田舎民が、ピクシーズをネットで検索して、YoutubeでDebaserを聴くなんて奇跡が生まれるとしたら、その最高の状況に大笑いしてしまうんだけどさ。

 


Pixies - Where Is My Mind - High Definition

 

野球地獄の黙示録

先日、神戸&大阪に出張してきました。移動の時間調整で、次の取引先までのロング・ロング・ロードを歩いてみた。俺の人生で、おそらくこの街を歩くのは最後だろうな…と思い、なるべくその風景を目に焼き付けるようにゆっくりと歩いた。しかし、やけに散髪屋が多い街である。もう4軒目だと思てる間に5軒目が出現した。もしかしてこの街の住人の髪の毛、常人より伸びるスピードが早いのかな?とすら思ってしまうくらい、ある。それとも、この街の危機を救った伝説の英雄が散髪屋(武器 ハサミ)で、皆その人に憧れて散髪屋になっているのかもしれない。もしくは、散髪屋を開業すると多額の補助金が出る仕組みがあって、新手の財テクなのかもしれない。(いや、今日は散髪屋の乱発について書きたいのではないんだ。「散髪屋が乱発や!」の謎は、解明しないで謎のまま終らせるか、後日、ナイトスクープにでも依頼する事にしよう)

ふと空き地を見ると、小学生男子複数名が野球をして遊んでいた。キャッチボールではない。三角ベースの野球の試合だ。思わず「あ!野球や!」と、最初の取引先のおっちゃんとの会話から影響された関西弁で声を出して驚いてしまった(関西弁は感染る)。なぜなら、関東圏で空き地で野球をして遊んでいる子供達を見る機会が、今やほとんど無いからだ(少年団はよく見るけどね)。思えば今年の春の選抜高校野球の準決勝、3校が関西圏の高校だった。残り1校の熊本の高校も、その正体は「枚方ボーイズ」とのことで、野球に関しては完全に西高東低である。かつて、取手ニ高vsPL学園の激闘に熱くなった茨城県民としては、この流れを修正するために野球復興の為の草の根運動をこの辺境の地 茨城県でゲリラ的に遂行しなければならない。

ホテルに帰り、地獄の黙示録のオープニングの真似をして、ベッドの上でカンフーの型をキメながら色々と考えた。子供達が毎週かかさず見ているドラえもんのアニメ。あの中では相変わらずガキのメジャースポーツは野球だ。ジャイアンスネ夫のび太を野球に誘いにくるし、ジャイアンが打ったホームランが家の窓ガラスを割ってしまい、カミナリさんが怒り狂って出てきて、のび太が犯人扱いされ、ドラえもんに泣きつくという定番のコンボも、昭和のままに放送されている。子供達はボーっと見ているが、おそらく彼等の頭の中には、僕の感じているようなシンパシーは存在していないであろう。現代には、カミナリさん的なガキを叱りつける和装のオヤジもいないし、家の硬い強化ガラスが割れる程のホームランをかっ飛ばす事もめったにないし、ジャイアン的な太ったガキ大将もいないし(スネ夫はいる。スネ夫みたいなヤツはいっぱい増殖しているぞ!)、なにより「空き地で野球」の文化が消滅している。このままではいかん。関東野球を復活させる。ちょうど我が家には3人も戦士がいるではないか。寝転がってドラえもん見てる場合じゃないぞ!

 

〈ルール設定〉

・ボールは100円ショップで売ってるゴムボールを公式球とする

・グローブは使わない

・バットは傘、もしくは棒的なものなら太刀でも大剣でもなんでもいい。このウエポンのチョイスで選手の個性を出していく

・三角ベース

・キャッチャー無し

・ストライクは空振りのみ

・フォアボール無し

・審判無し

・5対5

・ホームラン無し。エンタイトル2ベースとする。

 以上を「関東式やきう」と名付け、

将来的に、オリンピックの公式競技になるよう普及に努める。

まじで頑張ります。ここから新しいやきうの歴史がはじまる。そして、伝説へ。

 

ロングロングロード

何気なく入った喫茶店。BGMでかかったティアーズ・イン・ヘブン。それを聴きながら、これを書いている。この曲は、クラプトンが、幼くして亡くなってしまった息子に書いた追悼歌である。発売された当時、僕はそんな事もつゆ知らずに、ナンパした女子を部屋に連れ込んだ時の定番BGMといった位置付けだった。今は、クラプトンに謝りたい気持ちでいっぱいである。

この曲、葬式で流された日には、いや、我が息子が、死んだ僕の為にこの曲のCDを葬儀屋に渡してる姿を想像するだけで、あまりに切なすぎて思わず生き返ってしまいそうになる。だから、葬式で流すのは絶対にヤメてくれよな。 できればニール・ヤングとかにしてほしい。ドント・クライ・ノー・ティアーズとか、どうかな?マイマイヘイヘイは、カート・コバーンが亡くなった時っぽいからやめてくれよ。

なんて思いを巡らせていたら、喫茶店の曲がディランのライク・ア・ローリングストーンにかわる。イントロに反応して、ちっさい声で「お!」って言ってしまう俺。店主と目が合う。急いでコーヒーカップに目を落とす。この曲も葬式にいいな〜。

 

ポール・ウェラーの新曲、ロング・ロング・ロードが凄くいい。何度も何度も繰り返し聴いている。これ、大名曲なんじゃないですか(もっともウェラーには、個人的に大名曲認定曲がたくさんあるが…)。

ウェラーもこういう詩を書くようになって、僕もこういう詩でグッときてしまう年齢になったんだな…。もしかしたらウェラー、自分の葬式で流す為にこの曲書いたのかな?是非、この曲も僕の葬式で流してね。


Paul Weller - 'Long Long Road' (Lyric Video)

 

チケットtoライドン

フジロックのチケット取りました。早々と有給も確保し、金曜日のみ行ってきます。

ロン・セクスミスやエルヴィン・ビショップに後ろ髪引かれながら金曜日にした理由…。

正直、見たいアーティストは1組もいない。というよりも、残念な事にもはや知らない&音源を聴いた事がないアーティストばかりだ。では、なぜ金曜日をチョイスしたのか。それは、昨年の土曜日の激混みぶりと、初参加した2004年フジの快適な金曜日の記憶、その対比にある。あの2004年に感じた突き抜けた開放感を、僕はずっと探し求めているし、できれば大切な家族と共有したいと思っている。

で、今年は前夜祭も行ってみようかな、なんて思っている。子供は花火が大好きだし、盆踊りも多分好きだろう。子連れ故、レッドマーキーのライブは見れないだろうけど、おそらくあの2004年の開放感に近いものが、そこにはある気がするのです。

とはいえ、人が多いロック・フェスを否定する気は無い。「ロック」なんて冠がついてるぐらいだから、「ロックが在るその場所」はカオスな空間でなければならないし、ぐちゃぐちゃの泥まみれでダルなぐらいがロック・フェスには相応しい。人がいなくて空いてて快適で上品なフェスに行きたいならば、そんなもん探せばいくらでもあるだろう。

そう考えると、激混みのトイレも、大量に並ぶイスの海も、イスを頭に乗せて移動してる奴らも、嫌いなアーティストのTシャツ着てる奴らも、ハイネケンしかビールが無い&ボッたくり価格な状況も、ぜ〜んぶライブで思いっ切りブッ飛ぶための前戯的要素と思えてきます。主催者は、俺たちが最高のカタルシスを得る為に、敢えて不快な障害を設置してくれているのだ。きっとそうだ!そうに違いない!

でも、子連れの僕は、悲しい事にもうライブでブッ飛ぶ事はできないのです。なので、あの2004年金曜日の朝イチ感をまた味わいたいのですよ。(入口で大量のビールを没収されて、ヤクザイラつく午後の地獄状態ではあったが…)

果たして、あの日感じたフジロックは幻だったのか、夢だったのか…。