あの頃、僕の夢は舞台の演出家で、君の夢は女優だった。
2人でタクシーに乗るときは、きまって即興で演技をすることが2人の間のルールだったね。
ある時は結婚前のカップルだったり、売れない芸能人とマネージャーだったり、里帰りした兄妹だったり・・・。
どのシチュエーションでも君が決まって泣くものだから、タクシーの運ちゃんはいつもキマリ悪そうにしていたね。
君は泣く演技が得意だったけど、本当の恋愛では決して泣かなかった。

今は、君の姿は巨大なスクリーンの中でしか見れない。
僕からは君が見えるけど、君からは僕が見えないなんて不思議な感じだな。
僕は今、タクシーの運転手をしている。皮肉なもんだね。
カップルを乗せると、いつも君とのセッションを思い出してしまうんだ。
だから気分の乗らない曇りの日は、カップルは乗車拒否してるよ。

ある時銀座を流していたら、たまたま1人のキレイな女性を乗せた。
それが君だと気づくのに、それほど時間はかからなかった。
君は僕に気づかなかったね・・・。君は全然変わっていなくて、
といっても君の事はいつもスクリーンで見ているから、変化を感じなかっただけかもしれない。
話しかけて驚かそうとして、言葉を失った。
バックミラー越しの君が泣いていたからだ。
僕は黙って運転し、赤坂で君をおろした。
あれは演技だったのだろうか。本当の涙だったのだろうか。
僕にできる精一杯の事は、キマリ悪そうな運転手の演技をする事だけだった。