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街で色んな人の顔を見て、そこから知人の顔を連想する遊びをすることがある。
あの人はデ・ニーロに似てるなとか、ジミー・ウォングに似てるなとか、
サヨナラも言わずに別れてしまったあの子は今幸せかなとか、
ゴメンナサイが言えずに音信不通になっちまったアイツは元気でやってるかなとか、
ゼッタイマタノモウゼの約束が果たせないままのヤツラはまだバカやってるかなとか・・・
忘れていた色んな人のことを思い出してしまうのです。
でもこういう風にふと思い出す人ってのは、きっと向こうもボクのことをたまに思い出していてくれるから、テレパシーが伝わってるんだなってボクは考えることにしている。人間って絶対そういう能力が備わった生き物だと思うから。
いや、今日書きたい主張はこんなちょっとばかし切ないことじゃなくって、
オッサンの顔ってどうしてみんな似てくるのかな?って事だ。
オッサンの顔は似てる。大きく分けて8パターンくらいしかないんじゃないかな。
仕事柄、オッサンと会う機会が多いボクだけど、
顔が覚えられなくて本当に困っている(ま、覚えようという気もあまり無いのだが)。
ただそんな中、やっぱり個性的で一度見たら忘れない顔をしているオッサンもいるわけで、
そういうオッサンは大抵自分の主張を持っていてかっこいい生き方をしている人が多い。
まさに「顔が名刺代わり」ってやつだ。
俺もそんなオッサンになりたいなー。でも俺の顔って特徴無いからなー。
たとえばこんなワン&オンリー顔がいいな。

ニコラス・ケイジ、ワン&オンリー顔の最高峰です。
とにかくボクはケイジ顔が大好きで、画面にケイジの顔が映っただけで大爆笑してしまう。
ちょっと前の噂では、ケイジ主演でスーパーマンのリメイク企画があるとのことで、ボクは本当に楽しみにしていたんです。ケイジがあのコスチュームで空を飛んでる姿を想像するだけで、至福の気分を味わえる。残念ながら企画はぽしゃったようだけど・・・。
そんなケイジ主演映画でおすすめなのは、フェイス/オフ
なんてったってケイジとトラボルタの顔が入れ替わって、ケイジの顔をめぐる攻防戦ですよ。俺がケイジでケイジが俺で…な状況ですから。おもしろくないわけがない。
でも、そのフェイス/オフを凌駕するケイジ顔映画の最高傑作があらわれました。それは、「アダプテーション」です。
これは、必要以上にハゲ散らかしたケイジが2人(双子の設定:ケイジの1人2役!)画面に映るという、ケイジ顔好きにとっては最高にたまらない映画です。
この映画の最大のテーマは「ハゲ散らかしたケイジの顔をいかにフィルムに焼き付けるか」以外に無いと俺は断言する。
とにかく映画鑑賞後、ハゲ散らかしたケイジの顔以外のことは全く記憶に残らないのだ。
ハゲ散らかしたケイジの顔があまりにもインパクトが大きすぎるという理由もあるが、
ハゲ散らかしたケイジの顔(しかも双子!)をスクリーンに映す事で、監督があの映画で訴えたかった事のほとんどが達成されてしまったのであろう。
いわば、ケイジの顔が映った瞬間に映画自体がすでに完結してしまっているといっても過言ではない。
俺も劇場まで足を運んでこの映画をみたのだが、ハゲ散らかした双子のケイジが画面に現れた瞬間、感動と恐怖と笑いが交錯した複雑な感情に陥った。この感情って、言いかえるならば、「映画の名作の要素が全て詰まってる」ってことですよ。
監督はスパイク・ジョーンズで、一時期はケイジと親戚関係にあった羨ましい男。
きっと葬式だとか正月だとかお盆だとか親戚の集まる場に"ケイジがいる"という状況からインスピレーションを得て、
この映画を撮ったんだろうなと俺は推察する。
それにしても見たかったなー、ケイジのスーパーマン
バットマンスパイダーマンもぶっちぎりで俺は全面的に支持したね。ケイジ最高。