粋にコーヒーを淹れるよに

今日、とある「先生」と言われる方を訪問した。多忙な方なので、あまり時間を取れない筈なのに、先生は僕達にゆっくりと時間をかけてコーヒーを淹れてくれた。ちゃんとカップをあたため、豆を挽き、沸かした湯を洒落たポットでゆっくりと注ぎ入れる。その所作は綺麗で隙がない。会話をしながらなのに、会話そっちのけで先生の一挙一動に釘付けになる。ああ、これって、不器用な侍が千利休の繰り出すお茶出しパフォーマンスに感激しちゃう感覚なんだろうな、って思う。全ては作法なんだよ。色んなプロセスを経て出てきたコーヒー、格別に美味かった。コーヒーカップのチョイスも、飲み口がちょうどいい唇触りの品で、思わず「結構なお手前で」と言ってしまいそうになるが、そんな無粋なセリフはコーヒーと共に飲み込んだ。

いつもしている何気ない行動も、一つ一つの動作を意識してこだわってやると、そこに感動が生まれるのです。

今の俺にとってのこだわれる事ってなんだろう?と考えた。毎朝、子供の時間割りチェックをやっている。(しかし、これが父親の仕事か?昭和のオヤジが聞いたら卒倒しそうな朝一番の男の仕事だぜ。)本日は、これにこだわりを持ってやってみた。

まず、ランドセルを隙の無い動きでスッと開ける。

次に、今日の時間割りを詩吟を吟じるかの如く読み上げる。こくしゃ〜たいり〜さん〜。こくしゃ〜たいり〜さん。こくしゃ〜たいり〜さん。

教科書とノートを向きを揃えて、時間割り順に取り出せるよう綺麗にランドセルに収納する。連絡ノートに押す印鑑に実印を使用し、上下の向きに気をつけながらキッチリと押し切る。最後に、鉛筆を小刀を使って削る。精神を統一し、正座で1本1本丁寧に削り上げる。

削り上げた鉛筆の先にふうっと息を吹きかける。なんだか疲れちまったな。明日はこれやめよう。