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横断歩道のルール

田舎の農村。車なんて来やしない道で信号待ちしていると、息子が

「車なんか来ないのに、なんで止まってるの?行っちゃいなよ」

と俺に言う。

「おお!パンクだね〜」

「え?車、パンクしてるの?」

「いや、そうじゃなくて…」

「早く行かないの?」

信号は相変わらず赤だ。しばし考える。子供に急かされて行くのは、運転の主導権を子供に渡すようでなんだか嫌だ。でも、赤信号というルールに縛られてここに止まっている&「赤は停まれだよ」なんて、子供に当たり前の台詞を吐くのも全く俺らしくない気がする。信号、早く変わっちまえ。だが、田舎の信号は俺の葛藤を嘲笑うかの如く、依然として赤のままだ。

えーい!瞬間、子供が凍りつく程にアクセルを踏みこんで、赤信号+αの距離をぶっ飛ばしてやった。ハッハッハー、これが俺が出した答えだ。ああ、わかってる。子供の教育上、ものすごく良くねえよな。またカミさんに怒られちまうな…。

 

海外に行くと、横断歩道の信号の存在が、あって無いような存在であり、驚くことがある。皆、赤でも前述の息子のように、車がこなければバンバン渡っていく。それに比べるて日本人はき真面目だ。赤だとたいていの人はじっと止まって待っている。それが、決められたルールだからだ。日本人はルールが好きだ。ルールがあった方が安心するし、それにのっかってると楽だよね。俺もその一人だよ。

だけど、「ノー・ルール」って言葉にワクワクしてしまう自分もいるのです。よく猪木が、「ノー・ルールで来い、このやろう!巌流島でやるか?!」ってセリフをよく吐いていたけど、ノー・ルールって言葉を聞くだけで、「一体、何が起こるんだろう?」っていうワクワク感ったら無いよね。(実際の巌流島でのマサ斉藤戦が大凡戦だったことは、ひとまず忘れよう)

 

だからボクは、(周りに誰もいない(特にPOLICE)事を確認した上で、)たまに「横断歩道のノー・ルール」を色んな所で楽しむのです。