シャドウ

学生時代、ちょっとだけ写真部に在籍した事がある。ロバート・フランクのジ・アメリカンズを見て、影響されたからだ。

入部を決めた一番の目的は、写真部の暗室を使わせてもらう事にあった。

写真部の雰囲気は、みんな内向きに大人しくて、当時、前衛的ビートニクス被れだった僕には違和感しか感じなかった。こりゃ、長くは居られないな・・・とは思った。

3ヶ月に一度、写真部主催の写真展なるものを開催していた。皆、撮りためた写真の中から、選りすぐりの作品を大きく引き延ばして現像し、きれいにパネル化して展示する。

僕は、セルフ・ポートレート(しかもヌード(笑))を撮影して出展した。自分で言うのもなんだが、ものすごくいい出来映えだった。

だけど、写真部のみんなからは、「セルフ・ポートレイトなのに、影が写ってしまっている」と酷評された。

「え?影があった方がええやん。俺、ものすごく影がある人間だし」と思った。

ついでに額縁も、学舎の裏に捨ててあったいい感じのボロ板を拾ってきて、それに五寸釘で写真を打ち付けた。これも自分では大変満足なアイデアだったが、写真部の皆さんからはやはり大酷評された。

僕の作品は、彼等の中の常識では、全く受け入れられるものではなかったらしい(裸でセルフ・ポートレートを撮って、それを恥ずかしげも無く展示するっていうセンスも含めてね・・・)。

隅っこの目立たない場所に展示される俺の裸の写真。なんだか、「俺達の大切な場所を汚ねえ足で荒らすんじゃねえ」ってムードだった。

まるで、1965年のニューポート・フォーク・フェスティバルでのボブ・ディランみたいじゃねえか。いや、当時はディランの事なんて考えもしなかった。ただ、なんだか妙に居心地が悪いなって思っただけで終わった。

セルフ・ポートレイトを撮ってしまって、他に撮りたいものがなくなってしまい、すぐに写真部は辞めた。今思えば、敗北だ。俺はヤツラに屈した。負けたのさ。

 

星野源の「恋」のジャケ写を見て、はっとした。これ、源さんの影が思いっきり写ってるじゃねえかよ。

恋 (通常盤)

恋 (通常盤)

 

アートワークは、吉田ユニさん。最近、メディアでよく見かけます。突き抜けたクリエイターさん。恐らくユニさん、これまでの人生で、 1965年のニューポート・フォーク・フェスティバルでのボブ・ディランみたいな状況が、たくさんあったと思う。だけど、自分のポリシーを曲げずに走り通してきたんだろうなって思う。吉田ユニさんは、 突き抜けた勝利者だ。

 

夕暮れにあぶり出された虚ろな自分の影を見つめながら、あの時、暗い部屋の中で独りフルチンで必死にシャッターを押して色んなポーズを取った事、暗い暗室で自分の裸体が浮かび上がってきたのを見た時の事、現像液の酸っぱい匂い、イルフォードのロゴマークなんかを思い出した。こんな僕を、星野源は笑うかな?

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