ファイトクラブ

あれは確か1990年の話だ。あの日、俺は死にかけた。

彼女も無く、友達も無く、生きる目的も無く、ただストレスと小金だけはやたら持っていた。夜な夜なライブハウスやクラブに出かけて行っては、許容範囲外の酒を喰らい、酔っ払ってフロアを縦横無尽に飛び跳ねる事だけが、俺の唯一の憂さ晴らしだった。

ある日、バイト先のヤスダ先輩から声をかけられた。

「じぶ〜ん(関西の方は、相手のことを何故か自分と呼びかける)、洋楽好きやったよな。ドクター・ジョンって聴くの?」

当時、児島由紀子推しの音楽と米国カレッジ・チャート音楽しか聴いてなかった俺は、正直、ドクター・ジョンなんてまともに聴いたことが無かった。確か、ピーター・バラカンニューオリンズ音楽を紹介する時によく名前を出してたな・・・くらいの印象。かく言うヤスダ先輩も、ボンジョビとかガンズとかモトリークルーがフェイバリットの革パンピチピチLAメタル野郎だったので、ドクター・ジョンなんて知ってるはずが無かった。映画と音楽の知識に関しては知ったかぶり全開人間の俺は、

「ああ、好きですよ。ニューオリンズでしょ。ピーター・バラカンがよく紹介してますよね」

と自分が知っている知識を全部詰め込んで応酬した。

「あ、ほんま。あのな、ライブのチケット余っててな、一緒に行かれへん?」

実は、このヤスダ先輩と俺は、浅からぬ因縁があった。俺がぞっこん惚れていた小柄で可憐なミヨちゃんは、よりによってこの革パンピチピチLAメタル野郎の事が好きになってしまい、反対にヤスダ先輩が長年かけて口説いていたオッパイの大きいエリちゃんは、完全に俺に気があった。ヤスダ先輩と2人で酔っ払うと、大抵、この件で醜い言い争いになった。ライブの場所は大阪。多少の不安はあったが、ヤスダ先輩の友人(屈強な筋肉野郎)も来るという事で、ライブの誘惑には勝てず、OKした。でも、「ドクター・ジョンのライブって暴れられるのかな?」って一瞬思った。が、「ニューオリンズ+大阪=大暴れ」という公式が俺の頭の中で成立していた。

 

会場は確か大阪ブルーノートだったような気がする。普段よく行ってる磔磔や拾得とは違う落ち着いた雰囲気の会場に、嫌な予感がよぎる。客層もアダルト&カップルが多く、どう見ても「ここに暴れに来ました」といったカテゴリーの人種では無い。みんな、ボズ・スキャッグスでも聴きにきたような雰囲気だ。なんじゃーい、ドクター・ジョンってAORなんか?ニューオリンズだろ?レベル・ミュージックなんだろ?(勝手な思い込み)、産婦人科医じゃねーんだぞと、軽く憤る。

とかなんとか憤っているうちに、ドクター・ジョン登場。黒いコートを着ていた気がする。帽子も被っていた気がする。その大きな体でステージ中央に置かれたピアノに座ると、魔法のようにゴキゲンな旋律を奏で出した。が、嫌な予感が的中。客席の反応は、なんか薄い。皆、ワインを傾けてニヤニヤ見てる感じ。おい!今、ドクター・ジョンことマルコム・ジョン・レベナック・ジュニアさんがめちゃくちゃ粋なグルーヴ奏でてるってのに、ニヤついて見てんじゃねえ!今すぐ飛び上がって躍り狂えや!

 

ライブ帰りに立ち寄ったアメ村にあるヤスダ先輩の知り合いのバーで、ショット・ガンを何杯あおっただろうか。そこから全く記憶が無い。

 

中学生の時に、駅伝大会の選手に選ばれた。放課後の練習はハードだったが、選手に選ばれたという恍惚から、毎日、一生懸命走りに打ち込んでいた。今日もこうして走っている。辛いけど、頑張ろう。

って、あれ?ここどこだっけ?茨城県じゃないな。しかも夜だな。あれ、今、俺、どこ走ってんだ?確か、ここ大阪じゃなかったか?いや、大阪なわけがないだろ。大阪だとしたら大変だぞ。これは夢だ、夢なんだ。いいから構わず走り続けろ。

 

朝、目を覚ますと、眼前にはリアルなアスファルトの質感が広がっている。どうやら歩道に突っ伏して寝ていたようだ。え?ここ、どこだ?奇跡的にジーンズの後ろポケットに財布はあったが、お気に入りのアディダスのカントリー(MADE in FRANCEバージョン)が片方脱げて無くなっていた。恐ろしいほどの吐き気。なんとかタクシーを捕まえ、梅田駅まで送ってもらう。

 

阪急電車に乗ったが、強烈な吐き気が止まらない。が、胃の中に吐くものが無いせいか、吐ききれない。途中下車して、牛丼を食べる。米にアルコールを吸収させて、その後に吐くためだ。駅のホームでゲーゲー吐いていると、もの凄い勢いで急行電車が来て首を跳ねられそうになる。俺、一体、何をしているんだ。

次の電車に、たまたまヤスダ先輩が乗っていた。俺を見るなり、「心配してずっと探してたんだぞ、このドアホ!」とめちゃくちゃ怒られた。

車内でヤスダ先輩から昨夜の話を聞いてゾっとした。テキーラで完全に酔っ払った俺は、例によってミヨちゃんの件でヤスダ先輩に絡み始めた。その絡みがあまりに見苦しかったせいか、一緒にいたヤスダ先輩の屈強な友人に胸ぐらを掴まれて凄まれると、俺はシュンと大人しくなった。と、突然、わけのわからない奇声をあげて暴れ出し、全速力で走り出した。その勢いのまま、御堂筋を横断したらしい。車を数台止めたらしい。もの凄いクラクションの音だったらしい。で、そのまま走り続けて消えていったとの事。「死んだ、思ったわ」と革パンピチピチLAメタル野郎は笑った。

 

ドクター・ジョンの訃報を知って、あの時の思い出したくもない夜の事を思い出す事になった。実はずっと、ドクター・ジョンに対しても、なんだか申し訳ないような複雑な感情でいた。

あの日以来、もう二度と記憶を無くす程に酔う事は無い。今後も無いであろう。

Tipitina

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